『 手のひらの中の安らぎ 』

 心にちょっとした潤いや静けさが欲しくなったとき、私は、携帯電話の待ち受け画面を開きます。そこには、四季折々、旅先で見つけた野の花の、可憐で、それでいて凛とした姿があり、ささやかな安らぎを与えてくれるからです。

 長引く梅雨に気をもみながらも、海の日にかかる連休を利用してキャンプに行ってきました。目指したのは、以前『山と渓谷』の撮影で登った山中湖畔の低山、明神山(鉄砲木ノ頭)。駐車場からほんの30分ほど登っただけで、正面に富士山、眼下に山中湖というスケールの大きな景色を楽しむことができるビューポイントです。その手軽さと雄大さに魅せられ、いつかひょっこり時間ができたときに再訪し、のんびり富士山を眺めて過ごしたいと思っていた念願が叶いました。 とはいえ、あれこれ用事を済ませているうちに日が傾いてきたため、のんびり登っているわけにはいかず、迫り来る夕闇と競争しながらカヤト(茅)の斜面を一気に登頂。テントを張り終えると同時にヘッドランプを点しました。ゆっくりできたのは、それからです。

 日のある間は雲に隠れたり出てきたりを繰り返していた富士山も、いつしか夕闇の中に黒々とした姿を聳えさせていました。登山道に添って、ライトが列をなしています。明日のご来光を楽しみに登山者が大勢登っているのでしょう。湖畔では、時折、花火が上がっています。対照的に、こちらの山は貸し切り状態。静けさの中を心地よい風が穏やかに吹き抜け、数日来の都会の猛暑が嘘のよう。風に乗って、湖畔で戯れる若者たちの歓声が時折山に登ってきます。彼らは、1kmほども離れた山の上に自分たちの声が運ばれているとは、夢想だにしていないでしょう。ふと気がつくと、蛍が一匹、目の前を横切っていきました。
闇というのは、恐怖の対象にもなりますが、一方で心を落ち着かせてくれるものでもありますよね。視覚に頼れなくなる分、聴覚や触覚などが敏感になり、ふだんは聞こえなかったものや意識しなかったものを感じ取れるようになりますし、また、星たちや蛍のように、光を失ったことで見えてくる宝石のような輝きもあります。それらは、同じようにそこにあったはずなのに、真昼のような明るさの元では、その存在を感じることができません。同じように、人の心にも、穏やかに鎮まることによって初めて見えてくるものがあるのではないでしょうか。
翌朝、未明から吹きつけてテントを弓なりにしならせた風が雲を運び、富士山はその雄大な姿をすっかり隠してしまいました。それでも、もう時間に追われることなく、足元に揺れるホタルブクロやオダマキを愛でながらゆっくりとカヤトの山腹を下った私たちは、お隣りのブナの森、三国山まで足を延ばし、静かな山歩きを楽しみました。

 今、私の携帯電話では、このときに撮ったちょっと珍しい赤紫色のオダマキの花が、気品のある美しさをたたえ、涼やかな潤いを運んでくれています。










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