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葛城奈海のがんばれ林業
葛城奈海の木もれ日の部屋

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“男の現場”で触れた林業の歴史 2008.MAR
立春の翌日、TBSラジオ『ちょっと森林のはなし』3月分の収録のため、三重県の松阪に向かいました。松阪を訪れるのは、『MIDORI PRESS』の前身である『研修生ニュース』の企画で植え付け体験をして以来、丸2年ぶりです。
最初の収録先となったのが「尾鷲ひのきの会」代表、泉雅夫さんの案内でお邪魔した新築の塩崎さん宅。玄関を入ると檜のいい香りが迎えてくれ、広々としたお宅は、床や階段からベッド、タンスに至るまでほとんどが尾鷲檜づくし。中でも目を引いたのが、140年生の檜を使ったという美しくも逞しい大黒柱です。オレンジがかった肌色が目にも優しく、また肌ざわりもすべすべとして心地よく、思わず抱きついて頬ずりしたくなりました。製材の匠でもある泉さん。生えていた場所や環境によって一本ずつ個性が異なることから「人間と同じで、木には必ず顔がある」と語っていたのが印象的でした。塩崎さん宅の2階の窓からは緑濃い山々が見渡せましたが、尾鷲ひのきの会では、「山から家まで」の流れをわかりやすく伝えようと入居前には見学会も催し、多いときには150人もの来場者で賑わったそうです。
「尾鷲ひのきの会」代表、泉雅夫さんと。
塩崎さんのお宅の140年生の檜の大黒柱。
続いて向かったのは、海抜10〜380mのエリアにまたがる大田賀山林。尾鷲といえば日本最多雨地域という印象を持っていましたが、事実、年間4,200mmという降雨量は屋久島とトップを争っているそうです。急峻な痩せ地で成長が遅い特徴を生かして密植を行い、目の詰まった材を生産しているとのこと。ここでは、森林組合おわせの福中幹夫さんに「急峻な地形が多いがゆえに機械化が進まず、今でも架線による集材が多い」と伺い、なるほどガイダンスの折に三重県ブースに掲げられていた『“男の自慢”架線集材の技術 三重!』というフレーズはそういうことだったのかと納得したのでした。

散策路にはかわいい看板に森林の説明が。
散歩道としてもステキな森林でした。
ところで、ここ大田賀山林はかねてから一度は訪れてみたいと思っていた速水林業の管理する山林でした。散策路になっている小道を入っていくと、100年を超す檜の明るい林が広がっています。下草もさまざまで、照葉樹が多いようでしたが、道中ちくっとしたのでなにかと思ったら、柊(ヒイラギ)でした。特筆すべきは、林床を覆っているシダの逞しさです。シダはてっきり1年草だと思っていたのですが、驚いたことに、年ごとに伸ばした枝が何段にもなって茂っているのでした。この森林の心地よいことといったら!気がつけば、私たちを包んでいたのは、森の匂いではなく、山の香りでした。ディレクターの若山さんに至っては、「森の精に誘われるように、森の奥へと進んでいってしまった」とのこと。それだけ霊気に近いようなエネルギーを放っている場所だったのでしょう。
何段にもなっているシダの枝?
きれいに間伐された濱中さんの山を案内してもらいました。
続いては、創業が元禄13(1700)年という濱中林業9代目の濱中良平さんに、ご自身の森林で尾鷲林業の歴史的なお話を伺いました。おもしろいことに、この辺りの林業の歴史は、紀州の殿様が赴任直後に領内を見て回った折、あまりにも山が急で、これでは米の収穫が期待できないと山林を下げ渡したことに始まるのだそうです。貧しい人たちが、こぞって杉を植え、その山を濱中家などに買い取ってもらったとのこと。ちなみに、今でこそ90%以上を檜が占める尾鷲ですが明治期までは圧倒的に杉が多く、良港に恵まれたことから江戸との交易が盛んで、江戸の大火の折には材が高騰したとか。
濱中さんと共に両側が急峻な崖になっている尾根沿いに森林へと分け入っていったところ、所有者の違う左右の森林は、様子がまるで違います。手入れされている側は明るく、そうでない側は薄暗く荒れているのです。境界となっている尾根上には、点々と樹齢100年を超す大木が残されていて、それぞれ大人の腕が回らないほどの堂々たる幹回り。うっすらと苔むしていて、遠目にも風格が違います。これらは境目木もしくは際目木と書いて「さいめぼく」と呼ばれたそうです。境界上には、もうひとつ明確に所有者を示すサインがありました。ところどころの木の幹に白ペンキで屋号が記されているのです。濱中林業の場合は、角山吉(かく・やま・きち)。つまり、□のなかに傘の上部のような山型、そして吉の字が描かれています。以前は、これを「矢立」という蓋つきの柄杓のような容器で携帯した墨と筆で描いていたそうです。一本一本の材の小口にも鏝(コテ)で入れていたこの刻印によって、江戸へ向かう船が難破しても、岸に流れ着いた材は、持ち主の元へ戻ったとか。ちなみに、拾った人は1割もらえたと聞き、つくづくよくできたシステムだなと感心してしまいました。
角山吉のサインが描かれた際目木。

これが「矢立」です。
その夜は松阪牛の焼肉でスタミナをつけ、翌朝、今度は松阪飯南森林組合の研修生OBを訪ねて雪の残る作業現場へ。車を降りてから雪でぬかるんだ林道を登ること約10分。一本の木でも山側と谷側で1mも地面の高さが違うほどの急斜面で間伐していたのは、群馬県出身で元設計士の大津山修一さん(41)。消防士のように首の後ろに布を垂らした姿が珍しかった(季節がら日よけでもなさそうでしたし)ので聞いてみたところ、伐倒の際の飛来物を防ぐためのものだとか。クールで都会的な印象の大津山さんでしたが、「山で吸う煙草はぜんぜん味が違う」と目を細めていました。
雪が残る現場でラジオ取材の打合せ。
急斜面の中程で収録しました。
最後に松阪飯南森林組合で組合長の大西雅幸さんに三重県の林業全般について伺いました。心強いことに、『森は海の恋人』の畠山さん同様、三重県でも植林活動を行っている漁師さんたちがいるそうです。大西組合長は、せっかく林業という環境によいことをしているのだから、それをさらに発展させて、「例えば材を乾燥させるのに重油の代わりに間伐材を利用したバイオ燃料を使うなどしていくべき」と高い意識を持っていることが伝わってきて素晴らしいなと思いました。

帰路、伊勢神宮に立ち寄りました。初めて参拝した折にも巨樹の林立する境内に漂う神聖な空気に打たれたものでしたが、取材であちこちの森林を周ってきた今、改めて杉や楠の巨樹に悠久の時を感じ、また20年ごとの式年遷宮という形で木の文化を受け継いできた日本の伝統に感じ入るものがありました。発売を再開して2日目だった赤福にありつけなかったのはちょっと残念でしたが、平成19年度の取材を締めくくるのに、これに勝る場所はなかったかもしれません。

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