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「緑の雇用」総合ウェブサイト
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枝打ちの目的はいくつかある。ひとつは、枯れ枝を落として病虫害の発生を防ぐこと。もうひとつは、生い茂った余分な枝を切って林の中に光を入れ、地面の草などの生育を促すこと。そうしないと、草も育たたず地面がむき出しになり、雨で表土が流されてしまう。木そのものも成長しにくくなる。 |
| そして、もうひとつ、質のよい木材を生み出す目的もある。節のない木材をつくるために枝を落とすわけだが、幹を傷つけるほど枝の根元(Aの位置)から切ると、そこから病原菌が入ることも。そうなると、木材が変色したり、腐ってしまうこともあり、木材の価値がなくなる。また、胴枯れ病にかかって樹木をだめにしてしまうこともある。といって、あまり幹から離して(Cの位置)切ると、枝がのこり、大きな節ができることに。枝隆(しりゅう=枝の付け根のふくらみ)と枝の境(Bの位置)で切ると、節は残るが病原菌の入る可能性が低くなる。特に、まだ幹の小さい1回目の枝打ちはこの位置がよいという。なお、枝打ちの道具はナタ、ノコギリが使われるが、鋭利に研がれ、よく切れるものを用いたい。切り口を早く治癒し、病原菌の侵入をできるだけ防ぐため、切り口をなめらかにすることがポイントである。 |
| 日本最大の縄文集落として脚光をあびた三内丸山遺跡。これまでに竪穴住居跡が約580棟、大型縦穴住居跡が十数棟、堀立柱建物跡が100基あまりなど、多くの遺構が発見されている。その中でも、大型堀立柱建物跡からは、直径1mの太いクリの木柱が発見された。その木柱のあった穴は、直径2m、深さ2mで、6つあり、高さ20mはあったと推定される。それは、弥生時代の吉野ヶ里遺跡(佐賀県)の楼閣に匹敵するといい、高層建築物は弥生時代以降という説を覆した。 |
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| この建物は、物見やぐら、灯台、祭壇、倉庫などの施設であったろうと想定できる。柱と柱の中心の間隔が約4.2mであり、縄文時代にすでに長さの単位があった可能性も否定できない。建物はいま、現地に復元されているが、この復元に一役買ったのが青森県森林組合連合会。さすがに、直径1mものクリ材は青森県内、いや日本中を探してもなかったそうで、復元に用いた木は黒海の近くより調達したという。だが、そのほかの竪穴住居の復元に用いられているクリ材、藤のツルは県内の山から探してきたものだそうだ。それにしても、約5,500年から4,000年前のこの地には、直径1mものクリの木が繁茂していたことになる。目の前にそびえるやぐらを見上げ、縄文時代の豊かな自然を想像せずにはいられなかった。 |
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