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特集 栃木県 ◎飛隅木と呼ぶ垂木に槍鉋をかける小川棟梁。槍鉋は、通常、古代建築の修復以外には使わないが、取材のために特に実演してくれた。

木の文化を現代に伝える平成の宮大工。鵤(いかるが)工舎の棟梁・小川三夫さん

日本の文化は、木の文化。古代より我々日本人は、木と共に生きてきた。奈良・法隆寺の西院伽藍は現存する世界最古の木造建築物で約1300年の歴史を誇っている。林業は、木を植え、長い年月をかけて育て、用材として伐り出すのが仕事。木を使う人たちの仕事にも無関心ではいられない。今回の特集は、伝統的な木造による建築構法を現代に伝える、宮大工にスポットを当ててみた。

小川三夫さん
小川三夫さん

法隆寺金堂、法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔など多くの文化財の復興を果たした宮大工棟梁、故・西岡常一氏の唯一の内弟子で、現在は奈良と栃木に工房を持っている、鵤(いかるが)工舎・棟梁の小川三夫さんにお話を伺った。

 

■ 一般の大工と宮大工の違いは何でしょう。

民家を建てる大工は、屋大工(やだいく)というんだ。宮大工は、神社仏閣が専門で民家は建てない。仕事の難しさは、どちらも同じだよ。違いは、宮大工は大きな木を使うこと。大きな木は、大きなくせがでる。屋大工が使う小さな木は、くせも小さいので押さえ込むことができる。しかし、大きなくせは押さえ込むことができない。そこで“木のくせを組む”ことが必要になる。曲がり具合などを組み合わせて、くせを消していくんだ。そこが大きな違い。木を見る目が大切なんだ。

■ 木を見るとは、どういうことですか?

私が師事していた法隆寺の最後の棟梁、西岡常一の“口伝”に『木を買わず、山を買え』という言葉がある。これはどういうことかというと、木はその育った環境から見ないといけないということだ。その木が生えていた山の土質によって木の材質が変わる。生えていた場所の環境によって、木のくせが生まれるんだ。強い風にさらされていれば、それに耐えようとしてくせが生まれる。そういったことまでも見て、木を使いなさいということ。
それと『木は方位のままに使え』という言葉もある。古代建築では、南の斜面で育った木は、建物でも南側に使っている。木は日の当たる南側に枝が出る。だから木の南面には節が多い。室町時代になるとこれを嫌って、節がない北側の面を使うようになった。そうすると今まで日に照らされたことがなかったものが急に日にさらされるわけだから、木は急激に弱る。時代は古いが飛鳥時代の建築物の方が強いんだ。しかし、現代ではそこまでできないね(笑)。

■ 昔の人たちは、そこまで木を見て、建物を建てていたのですね。

槍鉋。使いこなすには熟練を要する。
槍鉋。使いこなすには熟練を要する。

古代建築が強い理由の一つに木を製材せず、割って使っていたということもある。人間の力では、木は性なりにしか割れない。当時はまだ鋸がなかったので、斧で割る。割った面はぎざぎざなので、それを手斧(ちょうな)できれいにし、さらに槍鉋をかけて仕上げるんだ。法隆寺の柱は直径が65cmぐらいだけど芯がない。原木を四つ割りにして使っている。当時は、そんな大きな木があったんだね。

自然の道理に逆らわず木を使っていた。だから千年以上も建っているんだ。今は、もうそこまでしていないけど、昔の建物を修復したり再建したりするときには、当時のやり方で昔からの道具を使っているよ。

■ どんな木(樹種)が使われていたのですか?

ほとんど檜だね。法隆寺も檜一色だ。もし松や欅だったら500年ぐらいしかもたなかっただろうな。杉で800年くらい。檜だから1300年も塔を支えてこられたんだと思う。昭和の大修理でも、取り替え材は35%ほど。残りの65%は当時の檜材をそのまま使ったんだ。古代の工人たちは檜の強さを知っていたんだね。 日本書紀に木の使い方が書いてあって、それには『檜は以て瑞宮(みつのみや)を為(つく)る材(き)にすべし』とある。檜で宮殿を建てろと言っている。この当時から、日本人は木の使い方や性質を熟知していたんだ。すごいことだね。

■ 寺社仏閣の建築には、今も檜を使うのですか?

柱周りは檜を使っているが、柱から上は外材を使っている。外材と聞くと驚くかもしれないが、日本の檜を守るためだ。日本には、もう寺社仏閣に使える大きな檜が多く残ってないんだ。それを今、伐ってしまうわけにいかない。そこであえて外材を使っている。法輪寺と薬師寺の修理のときには台湾檜を使ったが、それももう伐採できなくなった。そこでいろいろ調べて米檜葉を使っている。

■ 今の日本の森林について、どう思っていますか?

図面と見比べ、お弟子さんに指示を与える。
図面と見比べ、お弟子さんに指示を与える。

本来の山は檜、檜葉、杉、落葉樹…、いろいろな木が生え競争し切磋琢磨して育っていく。それを管理しやすいように1種類の木しか植えないようになった。それが、いい木がなくなった原因かもしれないね。まっすぐで良質材だけど、木のくせを活かしながら建てる古代の日本の建築向きではない。昔は、優秀な大工というのは山にある木をすべて使って家を建てられる大工だと言った。今は、まっすぐな木ばかり出して、曲がった木は山に残しますね。

昔の大工は、曲がった木は曲がったなりに工夫して使うことができたんだ。良質材は、仕事はしやすいが、その代わり昔の技術が失われてしまった。
今年ね、6町歩ほどの山林を買ったんだ。弟子たちと一緒に山作りをはじめた。まだ勉強中だけど下刈りをしたり枝打ちをしたり。ずっとほったらかしてあった山だから手入れがたいへんだよ。今度は間伐もやる予定だ。木を使う仕事をしているからね、我々も木を育てることをやらなきゃと思ったんだ。
文化財の補修に使える木が日本にはあまりないんだ。国宝の補修に外材を使わなければいけないような情けない事態は避けたいね。今からでも木を育てていかないといけないと思っている。山で働く人たちも、宮大工のような木の使い方があることを知って欲しいな。日本の木の文化を守っていくためにも、いい山を作ってください。

〈小川三夫さんのプロフィール〉

1947年生、栃木県生まれ。高校の修学旅行で法隆寺を見て感激し、法隆寺の宮大工棟梁・西岡常一氏に弟子入りを願い三度追い返されながらも入門し、唯一の内弟子となる。法輪寺三重塔、薬師寺金堂・西塔の再建に副棟梁として参加。1977年に鵤工舎を設立。全国の神社仏閣の修理・改築、新築を手がけている。また、多くの弟子を取り、後継者の育成にも力を入れている。

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